もし、両足が動かなくなったら
でも手が動く、しゃべれる
もし、首から下が動かなくなったら
でも食べれる、しゃべれる
もし、動かせるのが片方のまぶただけだったら・・・
あなたはどう生きたいでしょうか。
我々セラピストはどんなことができるのしょうか。
あらすじ
昏睡(こんすい)状態から目覚めたものの、左目のまぶた以外を動かすことができないエル誌編集長ジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)。意識ははっきりしているにもかかわらず言葉を発することができない彼に、言語療法士のアンリエット(マリ=ジョゼ・クローズ)はまばたきでコミュニケーションを取る方法を教える。
すでに10年以上前に見た映画でしたが、
自分の考える力がそのままに、身体のほとんどを一切動かせず、意思を伝えるすべを絶たれた時、それがどれだけの恐怖か。セラピストとして駆け出しの頃に出会ったこの作品は、10年経った今でも忘れることなく、私のセラピストマインドの根底を作っています。
会話ができないことが、意思疎通できないことを意味するものではないという戒めです。
意思疎通の方法を真っ先に模索すること
言葉にならずとも、伝えたいことを汲み取る努力を怠らないこと
映画のストーリーは、生き方をテーマにしたものだが、
冒頭の言語聴覚士の関わりまでで、この映画が私の中の名作映画殿堂入りを果たさせている。
リハビリとは必ずしも“治す”を意味するものではないと考えます。
“可能性を見つける”
ここにセラピストのいる意味、価値があると思うのです。
治すに向けて頑張るのは患者さん
我々の頑張りは、
患者さんの頑張りが目標に近づくこと、目標を達成するに至るためにできる限り、考え得る限りの可能性を提案することです。
リハビリの形は様々ですが、しっかりとしたマインドをもったリハビリを提供したいものです。
そんなマインドの糧となった「潜水服は蝶の夢を見る」という作品
是非ご覧下さい。
記事担当 PT主任やまざき