東日本大震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈り致します。
9年前、福島原発の暴走を受け、当院でも避難患者の受入を行った。
しかし、一般に高齢者は環境の変化に弱い。
長時間のバス移動後、実際の受入は深夜1:30過ぎだったと聞いている。
まして、言葉も上手く伝わらない。浜通りの方言で普通に生活してきた高齢者に、急に群馬の言葉で対応される訳だから、かなり過酷だったであろう。
当時私が担当していた病棟に入院された患者さんは、環境変化もあいまって体調を崩され、急性期病院へ転院されていったように記憶している。
最近では、地域包括ケアシステムなどでも、“住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続ける”と言われるようになった。
この言葉の意味を考える事のきっかけになった出来事のように思う。
リハビリテーションでは、自宅復帰することを一つの目標に置いている。我々の持つ理念や目標が、自分らしい暮らしをすることへの第一歩となると信じたい。
私も若く何も知らなかった20年前、田老の防潮堤、水門を見た私の感想は、“冗談でしょ”だった。漁港を通過するときに見た赤い門は、異常に大きく本当にこんなものが必要なのかと思ってしまった。
でも、震災の津波はあっさりこれを乗り越え、旧田老町を飲み込んだ。
津波の大きさは、私に想定できるものではなかった。
昨年秋、三陸大王杉にお会いしてきた。
20年ぶりにみる杉は、未だに迫力があった。樹齢1500年とも7000年ともいわれるそうだ。大事なのは樹齢ではないが、少なくとも過去1500年間の津波はこの杉にまで到達していないことを意味する。
実は震災後、気になっていたのは、大王杉の安否であったが、1500年の歴史は私の心配など意に介さない。
これは、ど根性ポプラ(津波に浸かったけど元気)
温故知新。故きをたずねて新しきを導くという事ですが、津波の際、大王杉の横まで逃げれば、巻き込まれる可能性は低くなる。
私の所属するリハ部にも、OTから始まって今年で46年の歴史がある。
この伝統を新しい時代にどうつないでいくか。温故知新しながら、ど根性ポプラのようにしぶとく頑張っていきたい。
記事担当:部長さかもと