娘とDVDを借りにいった。
6歳の女の子が選んだのは、まさかのドラマ 「コード・ブルー」 だった。
フライトドクターの研修医達の苦悩と成長を通して救急救命、医療全体、人間模様と幅広いテーマを訴える人気ドラマである。
このドラマの1stシーズンが始まった2008年、私が理学療法士として駆けだしであり、彼らの苦悩と自分を重ね、力をもらっていた記憶がある。
以来、全シーズン何度も見返すほどの大ファンである。
そんなコードブルーに嫌いな回がある。
脳死診断を受けた男児の母親から承諾書にサインをもらわずに人工呼吸器を止めたことから医療過誤を問われる回である。
“結果が全て”
助けられれば勇敢で、助からなければ過ちとされる。
“患者のため”
そう想い患者と向き合っているはずのなに、時に結果次第で過誤とされる。
私がなぜ、この回が嫌いか。
唯一、このドラマから力を貰えず、逆に恐ろしくなるからだ。
リハビリにおいても共感できる部分なのだ。
何が恐ろしいのか?
リハビリ中に患者さんに急変が起こることは確かに怖い。
ただ、そうではなく、リスクを嫌って決して攻めない姿勢は、結果として事故を起こさず、過誤と責任を問われることもない。
しかし、少しでも良くなる可能性が見えぬまま退院していく。
リハビリの成果に明確な明暗をつけられないことが、リハビリの結果を曖昧なものとしている気がするのである。
もっと頑張れたのでは?
もっとできることがあったのでは?
そう想う反面に、
“あれがあの患者さんの限界だった。あれ以上攻めてもリスクでしかない”
そう言い訳できてしまう。
その自分の考えに気付かされることが恐ろしい。
あきらめること、言い訳することに慣れてくると、だんだんと“〇〇さんという患者”と向き合うことから離れ、“〇〇病の症例”と捉えはじめる。
少し経験を積んだころに感じたあの感覚。
今は常に目の前の患者さんのこれまでの半生まで含めて人生に向き合うことを意識する。
そうしないと忘れてしまうのだ。
我々、リハビリ職は、“患者の人生と向き合う仕事”だということを。
だから、勉強するのだ。技術を上げるのだ。
でも大事なのは、患者にしっかり向き合う心だろう。
なぜコードブルーが好きか・・・
いつもそれを思い出させてくれるからである。
記事担当:PTやまざき